先週、私は三つの場面で「渡す」ということに向き合いました。
一つは、祝日の夕方。AIに、一枚の図を渡しました。
一つは、長くお付き合いのあるお客様に、保守という約束の中身を渡すことになりました。
もう一つは、社員に、契約書の草案づくりという仕事を渡しました。
相手はAI、お客様、社員。まるで違う三者です。ところが振り返ってみると、三つとも、うまく渡すための答えは同じところにありました。
書いて、渡す。今日はその話です。
AIに渡す — 構造は、自分で描くしかない

祝日の夕方、私は紙に描いた一枚の図をAIに渡しました。お客様との打合せ、録音、カレンダー、メール、チャット。そうした入力がどこに集まり、どう分析され、どのフォルダへ流れていくのか。ある案件の全体像を、まず自分の手で描いてみたものです。
AIは、それをきれいな作図データに起こしてくれました。線が重ならないように配線を整え、私が引いた一本の横線を「フォルダの中身」という枠として括り直し、左右のバランスまで揃えてくれます。かかった時間は数十分でした。私が同じものを作図ソフトで一から組んでいたら、半日は溶けていたと思います。
任せられたのは、清書だった
ここで気づいたことがあります。AIに任せられたのは「清書」であって、「構造」ではないということです。
どこに何を集めるか、どこからどこへ流すか、何と何を同じ箱に入れるか。これは、その仕事を実際にやっている人間の頭の中にしかありません。私が手書きの段階で線を引いては消していた、あの時間こそが本体でした。もし最初から「いい感じの概念図を作ってください」と丸投げしていたら、それらしい図は出てきたはずです。ただ、それは私たちの仕事の図にはならなかったと思います。
確かめるのは、人
もう一つ、同じ日に学んだことがあります。AIは作業の途中で、今日の日付を二週間ほど前だと勘違いし、翌日の打合せで使う資料にその古い日付を書き込んでいました。作業の終わりにAI自身が気づいて教えてくれたので事なきを得ましたが、速いものほど、間違いも速く広がります。
まとめると、分担はこうなります。構造を決めるのは人。手書きで構いません、むしろ手書きがよいです。形にするのはAI。速さと仕上がりはあちらが上です。そして確かめるのは人。とくに日付、金額、固有名詞は必ず。(時には、紙とペンに戻ることが一番の近道です)
書いて渡せば、AIはこれほど働いてくれる。では、渡す相手が人間なら、どうでしょうか。
お客様に渡す — 線を引くことは、断ることではない

同じ週に、あるお客様からこう聞かれたという報告が社内から上がってきました。私たちが長くお預かりしているウェブサイトの保守について、です。
復旧までは、やってくれるのですか
正直なところ、私たちはこの問いに一言で答えられませんでした。監視はしています。バックアップも取っています。何かあれば動きます。けれども「どこまでが月々の費用に含まれていて、どこからが別料金なのか」を、はっきり書いた紙が無かったのです。
これは、お客様が意地悪で聞いてこられたわけではありません。むしろ「お互いが困らないように、一緒に整理しましょう」という、たいへんありがたい申し出でした。この学校法人のお客様は、私たちを追い詰めるのではなく、曖昧な部分を一つひとつ明確にする作業に、丁寧に付き合ってくださっています。
曖昧さは、どちらにも損をさせる
曖昧なままにしておくと、融通が利いてよいように見えます。しかし実際に起きてきたことは、そうではありませんでした。想定していなかった作業を引き受けることになったり、「はっきり書いていなかったのだから」とこちらが肩代わりしたり。お客様の側からすれば、「何かあったときにいくらかかるか分からないのに、毎月払っている」という状態です。曖昧さは、どちらにも損をさせていたのです。
そこで私たちは、保守の中身を約款という形にまとめることにしました。標準の約款があり、それに合意したうえでお申し込みいただく。外れる特別なご要望のときだけ、個別に契約を結ぶ。
条件を付けたうえで、含める
いちばん悩んだのは、復旧の扱いでした。原因まで完全に突き止めて再発を防ぐところまで約束するのは、正直むずかしい。かといって「復旧は含みません」では、お客様は納得されないと思います。たどり着いたのは、条件を付けたうえで含める、という答えでした。定期的に取得しているバックアップから元の状態に戻すところまではやります。ただし原因の完全な除去までは保証しません、と。
線を引くというのは、断ることではありません。約束できることを、約束できる形にすることです。目に見えないサービスは、紙にして初めて、お客様に渡せるのだと思います。
では、渡す相手が社内なら、どうでしょうか。
社員に渡す — 渡すのは仕事ではなく、判断の基準

その週のある日、私は朝の段階で、自分でやるべき仕事を三つ決めていました。そのうちの一つが、ある協業先との契約書の草案づくりです。締結までの日取りを逆算すると、今日中に形にしなければ間に合わない。そう考えて、時間をどこで捻出するかを算段していました。
ところが昼過ぎ、担当者に「草案をつくってもらえますか」と声をかけたところ、返ってきたのは一言でした。
もう送りました
時刻を聞くと、私が声をかけるほんの少し前です。一瞬、頭が追いつきませんでした。そのあとに来たのは、安堵よりも、もう少し複雑な感情だったように思います。
「私がやったほうが早い」の正体
任せられない理由を挙げるとき、多くの経営者は「まだ任せられる人がいない」と言います。私もそう考えていた時期がありました。けれども実際のところ、任せられない最大の理由は、能力の不足ではないと思います。説明する時間が惜しい、任せた結果のミスを自分が処理する姿が見えている、だから自分でやる。この判断を、締切が迫るたびに繰り返してしまう。それだけの話なのです。
厄介なのは、この判断が短期的には毎回正しいことです。今日やれば今日間に合う。任せれば間に合うかどうかわからない。だから正しい判断を積み重ねているつもりで、いつまでも同じ場所にいることになります。
渡していたのは、判断の基準
では今日は、何が違ったのか。振り返ると、この一件だけが突然うまくいったわけではありませんでした。ここ数か月、案件の状況が見える状態をつくり、どういう場合にどう判断するかを、繰り返し言葉にしてきました。見積の根拠をどう組み立てるか。不明点が出たときにどう仮定を置くか。つまり渡していたのは、仕事そのものではなく、判断の基準だったのだと思います。
基準が共有されていれば、任せることは丸投げになりません。逆に基準がないまま「任せた」と言えば、それはただ手を放しただけになります。そして、任せたあとこそ、定期的に顔を合わせる場が要ります。自分で考え、判断し、その答え合わせをする。この往復を重ねて、はじめて基準が身体に入っていくからです。
複雑な感情と書きましたが、時間が経つほどに残ったのは、単純なうれしさでした。自分がやらなくてもよい仕事が一つ増えたということは、自分にしかできない仕事に使える時間が、一つ増えたということです。
書けないものは、渡せない

三つの場面を並べてみて、気づいたことがあります。
手描きの図面も、保守の約款も、判断の基準も、正体は全部同じでした。私の、あるいは私たちの頭の中にあった暗黙のものを、書いて外に出したものです。
頭の中にあるうちは、誰の役にも立ちません。AIは動けず、お客様は不安なまま毎月を過ごし、社員はいつまでも育ちません。書けないものは、渡せない。渡せないものは、会社の力にならないのです。
逆に、一度書いて渡してしまえば、変化は思いのほか大きいものでした。半日の作業が数十分になり、長年の曖昧さが一枚の約款に変わり、自分の時間が一つ返ってきました。
「書く時間が無い」と、私も長く思ってきました。しかしいまは、順序が逆だったのだと思っています。書かなかったから、渡せない仕事が全部手元に残って、時間が無くなっていたのです。
まずは一つ、頭の中のものを紙に描いてみてください。図でも、箇条書きでも、手書きで構いません。渡す相手は、それから決めればよいのです。
まとめ
- 構造を決めるのは人、清書はAI、確かめるのは人
- 目に見えないサービスは、紙にして初めて渡せる
- 任せるとは、判断の基準を渡すこと
- 書けないものは、渡せない。渡せないものは、会社の力にならない
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